政治家の変化についての考察

政治家の変化

 

「井戸塀」(いどべい)この言葉を知っている方は、70代前後の方位なものでしょう。
政治にはお金がかかり、政治家として活動するのであれば、家には塀と井戸しか残らないといった意味合いの言葉です。
今も昔も政治にはお金のかかるもの。昔の政治家は、身代をかけて政治に取り組んでいた。それが「井戸塀」という言葉の表わす本当の意味なのかもしれません。しかし現在では、資金に関わるさまざまな決めごとの抜け穴を駆使し、資金を集めて政治を行っていたり、私腹を肥やすことしか考えられないような政治家が中枢にも地方にも見受けられ、ニュースに取りざたされることもしばしばあります。

 

戦後の日本は、世界的に見ても異例とも思える速度で進化しました。それが日本の「高度経済成長」期です。その頃政治に携わる政治家には、まだ「井戸塀」の意識があり、政治的力を持つことで選出された地元へ交通網の整備など、さまざまな形で政治家としての役割を果たし、支持を得ていました。昔の政治家は「政治のために生きていた」のかもしれません。

 

バブルもはじけてから20年近くが経ち、現在の政治家は政治を動かすのではなく、自身の保身を第一に考え、強い方に流れやすい風見鶏気質の高い人たちが多いように感じます。職業としての政治家であり、日本を、選出してくれた地元を、いかに良くできるのかを考える気概のある政治家はなかなか見ることができません。生き残るために、政党の分離や合併、新党の結成を金銭的に損のでないように立ち回る、または、風に乗りあこがれの政治家になりたい。そちらの考えの長けた人ばかりのあつまりでしかないのではと思えるほど、政治家の劣化は激しい様にうつります。
私腹を肥やす政治家を野放しにしているわけではなく、2007年からは、国会議員であれば総務省により、政治資金収支報告書が開示され、誰でも簡単にネットで見ることができるようになっています。国民の目が、政治家に向けられている。そう感じことで、劣化した政治家は排除されていくものなのかもしれません。